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ブログ fade-out 「ブリュースター博士をエジンバラに訪ねて」

4日前(27.3.16)スコットランドから帰ってきた。
ロンドンで職に就いている荒木路の娘私には孫にあたる荒木貴紀と、エジンバラに行ってきた。
ブリュースター博士の面影を探しに。
今年2016年は、ブリュースター博士が万華鏡を発明して200年目にあたる。きっとエジンバラでは博士を記念したり顕彰する行事があるだろう。まずはホテルフロントに訊いてみた。「デヴィッド・ブリュースター? ノウ」
街に出てカフェや物販店に訊いてみた。
ノウ。ノウ。
エジンバラ大学のキャンパスにいた学生3人にも訊いてみた。
ノウノウノウ。
当のエジンバラ大学ビジターセンターの職員はさすが知っていた。孫は重ねて博士の発明になる万華鏡のことも尋ねた。職員はそれは知らないと答えた。孫が2014年にここを訪れたとき博士像周囲は工事中で石像には近づけなかった。
工事は終わっていると告げられた。

アメリカ人と日本人は知っている。亡きコージー・ベーカー女史がカレイドスコープルネッサンスを興さなければ、私たちもエジンバラ市民と同じだったし、万華鏡は祭りの夜店で売っている紙製の玩具しか知らなかったのだ。
エジンバラの空は夕焼けを残して暮れ落ちていたから、翌日、いくつもあるエジンバラ大学のキャンパスの1つ、街はずれの物理学キャンパスにバスに乗って向かった。孫はうろ憶えの小道をいくつか辿って、Sir David Brewster 像に近づいた。

できたてのように白く輝いていた。
博士の指が欠けたままなのは、石像が新品ではないということなのだ。

物理学分野の業績で。万華鏡は、多分、余話。

万華鏡専門店を荒木路が始めるまでは、麻布十番の店はカフェ昔館だった。
孫が連れていったエジンバラの紅茶専門店「Amteaques」は、ただしく、カフェ昔館の趣きを宿していたのだ。アンティークの家具調度が所狭しと配置され、その隙間で客は茶を飲む。望まれればレースのクロースやティカップなど調度品を売りもする。 スージークーパーの陶器や旧いアクセサリーが売れていたカフェ昔館とまったく同じだ。1920年代の照明具で浮かび出る年季の入った店内に、懐かしい、という1本の筋雲がたなびいている。
ブリュースター博士が学び教え研究した万華鏡の故郷エジンバラ市に、カフェ昔館の立ち昇らせていた筋雲を見て、私はニンマリした。
カフェ昔館の時代孫はまだ生まれていなかった。だのに店内に漂う筋雲にこもった、温もりと小粋という魂は、伝わっている。

「以前、カフェじゃなかったですか?」
「ええ、やっておりました」
「おなじ経営者なんですね。やっぱり!
あの店の雰囲気と、ここ、似ているんです」
書き手 荒木和子