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ブログ fade-out 第2回「行方の行方は、深淵」

生徒さんの作った万華鏡の一つを覗いて見て、瞬時に、わたしは金縛りに遭った。
手作り教室の開かれていたカレイドスコープ昔館のアトリエでのことだ。
わたしが固まったのは幸いだった。
わずかでも震えたら、そのオブジェクトは、永遠にもどってこない。

土曜日ごとに、万華鏡手作り教室に通ってきて、一つだけ万華鏡を作ったその人は60代に入ろうとする独り身の男性だ。
これまで手で物作りしたことなんかただの一度もないということだった。
そんな人に、こんな万華鏡ができてしまった!

作ろうとして作れるものではない。
作ろうとして作ったのではない。
偶然か。
ほんとうに偶然か。
こんな、キレイという現世を突きぬけて、天も地もない、現象界のすべてが秩序を得調和して、ほほえんでいる。
その安らぎといったら!

これは、人の目には見えないけれども現実にはパワーをしめすことのある、魂や霊の電磁力が人間の手を通して、一瞬、合致現出した、必然ではないのか。
忘れもしない、緑とオレンジ色を基調とした、だが秀れて余白のたっぷりしたオブジェクト(3ミラー)に、点、点と、紫、桃色、銀色、黄、紅の粒たちが、つつしみ深く、所を得ていた。
遥かな背光にきらめいて。
こう書いたところでどれほど人に伝わるだろう。

ふと手にとった万華鏡。
そのオブジェクトは、広やかな白面に赤い片、片。
雪原に西瓜が! と見たとき、人はおのずと、物語を作りはじめる。
雪は冬だし、西瓜は夏だし。
どうしてこの巡り合わせになったのかと。
想像をめぐらせ、人物を登場させ、起こって、経って、終末にきた物語。
現代人は、おもしろくもない日常を、負けながら生きている。
豊かな物語を、心底から欲している。

日本は世界が認める技術大国だ。
洗練された美学も持つ。
その日本人が作る万華鏡には途方もない未来がある。
じっさい日本人アーチストの作品は、カレイドスコープルネッサンスを興したアメリカで瞠目されている。

あの孤独な生徒さんの作った万華鏡は、行方が知れない。生徒さんの行方もしれない。
チェンバーはローラー式だった。
ローラーにガラス粒が接着させてあるだけの単純なものだった。
完全にいたったあの色調、買い取っておけばよかったと、なんど悔んだことだろう。
毎月の金繰りに疲労困憊だったから、生徒の作った作品を買い取る余裕がなかった。

                                             書き手 荒木和子

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