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ブログ fade-out 第6回「コージー・ベーカーに捧げる歌」

 翌日ポートランドではデビッド・コリアー、テリー夫妻宅へ立ち寄り木製の万華鏡を買い求め、そこからザ・リゾートに到着。
宿泊地にもなるその大会会場は開幕を待たずにすぐに宴は始まっていた。昔館の宿泊は何棟ものバンガローの一部だったが、
そこでは開け放たれたルームのあちこちで招び合うパーティが開かれていたのだ。
キャロリン・ベネットさんに呼び止められて荒金さんを先頭に、賑やかな部屋に入った。キャスリン女史がいた。
メアリー・ギブソン女史がいた。笑顔のはじける挨拶を交わして、わたしたちは仲間に入った。
言葉の不自由なわたしは、アメリカの夜の、気軽なパーティを、眺めた。
 大会第1日目は、ゴルフ大会だった。わたしは暇な日になった。荒金さんと香川君がSONY関連の万華鏡作家との談合に出かけた後は、独り。
気ままに、北米大陸のリゾート地を散策した。野鳥の囀りが、直近だった。
 大会第2日目。開会式の行われるモリスルームには大熊氏、山見氏、今田氏、依田氏が来場されていて挨拶を交わしあった。
 高らかに鳴るファンファーレ!
 バグパイプ隊が入場してきた。なるほど、大会の演出主調は、ブリュースター博士をしのんでかスコットランドなのだ。
わたしは上陸初日の昨日、ジュディス・ポールからタータンチェックのシャツを手渡されていた。それを着込んで参列しているわたしの前を、
スカートをはいたバグパイプ隊が行進する。先頭の奏者はハワード・スミス氏でそのバグパイプは万華鏡に仕立てられていた。
続いて、タータンチェックを着用した会員各氏が列をなして行進する。大会運営の任はジュディス・ポールということだった。
その指揮振りは徹底していて、わたしが列からせり出たとたん下がってという指示が飛んだ。
 開会の辞を述べるために壇上に上がったのは、キャロリン・ベネット、シェリー・モーザ、チャールス・カラディモスだ。
三氏にかぎらず、アメリカ人はみなスピーチが上手だ。話の内容は分からなかったが豊かなジェスチャーが伴っているから判るような気がする。
 日本人が多数出席していた。大会を取材する撮影隊も来ていた。
そのカメラを肩にした取材陣の動きや会場に据えられた三脚を見ながら壇上からコメントがあった。
撮影は日本で公開され、日本人は万華鏡を広めてくれていると。会場は第三会場まであり、作家がそれぞれブースを起ちあげていた。
 開会式の後半で、特別な放送があった。コージー・ベーカー女史の出席が中止になった。
ザ・ブリュースター・ソサエティの彼女の病が、軽からんことを・・・。仙台桴館の千葉さんが訳してくれて、私はアナウンスと空気を理解した。このたびの渡米の目的の1つが、コージー・ベーカー女史に会うことだった。わたしの娘の荒木路が万華鏡専門店を日本で起ち上げる決意に導いてくれた、コージー・ベーカーは母親のわたしにとっては恩人だった。カレイドスコープルネッサンスの源流に敬意をと、麻布十番カレイドスコープ昔館へ来店してくださった礼も表したく、土産を持ってきていた。
 突然、壇上に、ギターを掻き鳴らした青年が躍り出た。万華鏡作家の1人で、「コージー・ベーカーに捧げる!」と宣言した。「万華鏡の歌」と題を言って、歌いだした。揺れと震えのある声は、憂いを表出していて、モリスホールは一瞬、祈りの色に染まった。

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