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ブログ fade-out 第3回「カオスは自ら、コスモスへ」

名付けるとするなら<コスモス>か。
行方知らずのあの万華鏡は、手のひらにのるオブジェクト自身のうちに、秩序と調和とを持つ宇宙だった。
そのコスモスに対して、<カオス>と名付けたい万華鏡があった。
万華鏡専門店を起ち上げた荒木路が探究マニア時代に作りあげた万華鏡だ。
キレイが分厚く、涯のなさが湧くように続くというオブジェクト。
暖色と寒色の割合は寒系が多かったように思う。
布切れ・テープ・リボン・紙片などの持つ色に、茶系や藍や灰色が目に立ち、荒涼といいたい色層に、ピンクや黄金色や赤が救いのように輝いていた。
チェンバーを回してみていると、湧いてくる虫的生命感には美も醜も悪意さえも選別されてなく、神経も感情も、精神も、追いすがれなくなりヤバい目に遭いそうだという代物だった。
開業当時の閑散な店頭に3か月くらいは置いてあったから、観てご存知のかたもおいでかもしれない。あのゾクゾクと湧く、ぶ厚いから昏くなる超混沌に耐えられるのは数奇を知る者だけだ。
厚みの仕掛けは登録を得ているから、いつか荒木路作の<カオス>が店の棚に並ぶこともあるだろう。
実物はとっくに当人に壊されていまでは幻だ。
その頃、NHKの夕方のニュース番組に子(私には孫)を連れて撮られていた荒木路は、白痴かうつろな病人に見えた。
世間の常識を踏み越えたアナーキーな奇人でなければ、当時、商売で万華鏡だけを売るなんてことだれも考えおよばなかったことだと思う。
原野の礫と雑草の上に咲いた、やっとの花が、カレイドスコープ昔館だ。

わたしたちは、普段の暮らしで清らかになることは簡単ではない。
秀れた万華鏡には、俗から天上へと、すっと越えさせてくれるチカラがある。
そうした秀れたオブジェクトに出合うには、数多くを、時間をかけて、観入らなければならない。
オブジェクトは工場生産できないから、何百あっても同じものはないのだ。
観る人の鑑賞眼がそれと相性で、観分けるしかない。
入魂のアーチストが寝食忘れて創りだす万華鏡は、信頼に足る。

せわしない、あるいは倦怠のあいまに、信頼に足る万華鏡を、取り上げてみよう。
チェンバーを、ゆっくりと、すこしだけ、回す。

ふいに、澄みきった涯界へ、連れていってくれる。
停める。
祈りたくなる。
それは治癒だ。
あしたまた、がんばろう。
書き手 荒木和子

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